君がため春の野に出若菜摘む
「七種草図考」
  良熙文 横山弁蔵図  安永三甲午年
 
 本書は安永三甲午年に良熙なる人が本文を、横山弁蔵が図を写本したものである。本文後部は萩原宗固より戸部介五郎宛の手紙部分があり或いは萩原宗固の著作とも思われる。

 書き出しの部分を紹介すると、
「此七種ノ図二図イツレガ是ナル事ヲ知ズ、共ニ疑ベキ事ナキニ非ズ 桧岡玄達 阿部照任 後藤梨春 皆七種業者ノ書アリ ソノ説又疑ベキコト多シ 上古七種莱ノ各見へズ白川院ノ御時菘ヲ誤テ松を献ゼシ人アル時ハソノ頃七種ノ名取タガヘタルニヤ サラバ古クヨリ其名アリトモ云ベシ 清少納言ニ菊ヲツミテモテ何ナリトモ初春ノ頃莱羹トナルベキモノヲツミタル事ニテアルベシ 七種ノ内恵具ノ見へズイカガ。

 図(一) には 水?せり、薺なづな、?縷はこべら、鼡麹草こぎやう、黄瓜莱たびらこ、菘すすな、莱 すずしろ。
 図(二) (写真参照) には 水?、薺俗に雀の巾着 鼡麹草御行はうこ草、車前草ほとけのざ、おほぼこ、?縷たびらこはこべら 蕪菁すずなかぶらな、蘿蔔すずしろ大根。

 (一)(二) の図で漠名の文字の異なるもあり、和名の違いもあるが、特にホトケノザについては相当の混乱が読み取れる。

 このことは牧野富太郎先生も「植物記」の中で、小野蘭山時代よりして其以後の本草学者は春の七草の中のホトケノザを皆間違へている。とし、貝原益軒も「大和本草」の中でクチビルバナ科のホトケノザとキク科のタビラコを共にホトケノザとし自家矛盾を来していると指摘している。