再び飢えを忘れかけた日本
「民間備荒録」 「備荒草木図」
  建部清庵編著  天明八年
             天保四年
 
民間備荒録
備荒草木図
 平成四年の夏は東北地方を中心に冷夏による米の不作が原因となり、各地の米屋から米が姿を消し、諸外国からの緊急輸入米を求めて農水省は慌てふためいたことが昨日の事のようであり、また遠い過ぎし日の幻のようでもある。現在、三度の食に心を砕くことなく日が送れることは有難いことである。

 さて、江戸時代と言わず人は常に飢えに苦しみ、その苦しみから抜け出すための知恵は多くの学者の研究や、民間の伝承によって受け継がれてきた。

 「民間備荒録」は奥州一関藩侍医建部清庵によって著作された上下二冊本。内容は、宝暦五年やはり東北地方を中心に発生した飢饉の惨状を実見した著者が、荒年に備えるために書かれたもの。しかし出版は次の天明の大飢饉に遭遇し、漸く天明八年に出版された。

 何時の世も喉元過ぎればの例えの通りである。只この書物には飢えに難民の姿や、施米の図はあっても救荒植物の図は著作されてはいたが同時出版されなかった。

 この事を後年、杉田玄白らが惜しみ、「備荒草木図」と題し、天保四年に漸く公刊された。成備後両本が揃い一具となるのには実に七十七年の歳月を要した。
「備荒草木図」は上下二冊、天眞楼蔵板。

図の一部は宇田川榕菴が補足し、全百四図。各図には植物名と食し方が記されている。一例を示すならば 「合歓木(ねむのき) 嫩葉(わかば)を茹ゆで、水洗し塩、味噌にて調(ととの)へ食す。又晒(さら)し乾し茄食もよし」とある。一度試食してみたいと思っている。