尾張の変り咲き朝顔図譜
「田楽朝顔譜」
  著者不詳、椒芽(きのめ)田楽序  文政1年1月
 
 本書は一頁に一図が画かれ、全六九種の変り咲き朝顔の図譜である。各図はお世辞にも上手とは言い難い稚拙な図である。しかしよくよく見ると絵心はないが、何とか花の姿を止めようとした、朝顔好きな人の稿又は写本になるものであろう。

 成立年代は、序文に文政紀元とあるから1818年以前に描かれたものと推測できるし、その序文を書いた人物が、幕末尾張地方で活躍した狂歌師、椒芽田楽。自筆であり落款も捺されている。従ってこの図譜の作者は尾張名古屋あたりに住んでいた人の手になるとも考えられる。

 末尾に文政元年、江戸浅草蔵前黒船町榧寺蕣合位附の写しが附され、更に別手で、明治三十九年改とある朝顔の名と題す品種記録が半丁あり、その欄外に愛知県海東郡万須田村長須賀の書き入れ、更に裏表紙内側に、第六区海東郡長須賀村、江場林左衛門持之印の署名がある。

 従って浅草榧寺の花合せは写しを添附したもので、海東郡長須賀村は、現在の名古屋市中川区富田町長須賀であり、近鉄伏屋駅のすぐ北に当るところである。一度訪れ手掛りを得たい。

 何はともあれ、「朝顔明鑑鈔」を始め、尾張地方は変り咲き朝顔の栽培が盛んな土地柄であったことを知る資料の一つと言えよう。