当時の栽培種類の実績を知る貴重資料
「百菊図巻」上巻
  大淀三千風の序
 
この百菊図巻には巻頭に大淀三千風の序文があり、先づその序文の一部を紹介したい。

 「百菊老人につかわす詞 並詠歌一首
 不生浩然の気をやしをふに いつれは何れと天工道化の水石草木を愛するにしくはあらずやむべなるかな(中略)今や竹の都、大宮河の川裾 川崎とてふ所に独の市中隠あり 村田三仲老翁は 年すがら百菊を画図して 白玉式軸をつくりなん(中略)

 世にさかふ 菊の二葉の志たるるは こや宮川の 水のみなかみ   東徑居士三千風 元禄後申聖節 三伸齊蘭窓 机下」 とあり、本図巻は元々二巻ありその上巻に当たる。序文にあるように画作者村田三仲齊は竹の都即ち伊勢国多気郡 齊宮の宮殿を指し伊勢大神宮の近く宮川のほとりの住人であったらしい。序を書いた大淀三千風も伊勢の人三井氏の出身、俳諧師として全国を漫遊行脚し宝永年中に没した人で共に老境に入った人の作である。

元禄後申聖節とは元禄十七年、東山天皇の誕生日を意味し、此の年三月に改元が行われ宝永となったので一〜三月の頃に成立したのであろう。

 さて内容のキクの図と品種であるが、一図一図誠に丁寧に画かれ、とても素人の画とは思えない。しかし当時の園芸愛好家にはこれ程上手な画を画ける人がいたのであろうか。

 品種は元禄四年の京都での刊本「書菊」と照合して見るに八種が重なり、下巻も発見されれば重なる品種数は倍加するであろうことを思うに、伊勢と京都は近い関係にあったのか又は全国的にキクの品種の伝播は早かったのか興味は尽きない。