朝顔師 成田屋三部作の第一集
「三都一朝」
  成田屋留次郎刊 田崎草雲画  嘉永7年
 
 文化文政期に大流行を見たアサガオは、その後天保期になりやや下火となり、出版物など残された資料は少ない。しかし嘉永安政になると再びブームが訪れてその数を増す。

 今回紹介する「三都一朝」は、幸良弼撰、田崎草雲画、上中下三冊、木版多色刷、嘉永七年、成田屋留次郎によって刊行された。上巻に蓬庵なる人の和文序があり、図は二八、中巻は三〇、下巻二八、全八六図である。

 しかしながら、下巻未には、
 「朝顔の世に行はる己に久し。千花万花輪愈出て愈奇。盡く枚挙する追あら不也。今其絶品の者百種を頡て合て一巻と為す。以て同好の者の一粲に供すと云。江戸 成田屋留次郎誌す。」(原文漢文、読下し筆者) とある。図の数が大きく異なっている。朝顔研究家渡辺好孝氏によれは、「本書は版を異にするもの、丁数の不揃いのもが多く、はなはだ錯雑をきわめいている」としておられるので、雑花園文庫本が、たまたま丁数が不足しているとも考えられる。

 さて題名の三都とは京都、大阪、江戸を指し、それぞれの地域で作出された名花奇花を編集したものであるが、多くは江戸市中又は近郊が多く、京大阪は極少数に止まる。

 版元の成田屋留次郎は、江戸下谷坂本入谷に任し、アサガオ中興の祖ともいわれ、後、「両地秋」一冊、「都鄙秋興」三冊 同形版による三部作を世に残している。一方彼は熱心な市川團十郎十郎のファンであり、團十郎と同じ屋号を名乗り、團十郎の色とされている柿色の大輪アサガオを作出し、「團十郎朝顔」と名付けて世に広めたとも伝えられる。