楽翁公コレクションの一つ
「蓮花百種」
  松平定信編  文化末年から文政初め頃(1800年前後)
 
 本書は、「浴恩園櫻譜」同様、編者は松平定信、隠居して楽翁と号し、寛政の改革を行った後、政界引退後多くの園芸植物を蒐集し、絵師谷文晃らによって図を画かせ、今日に伝えた。

 原題は「清香譜」(清香とはハスの雅名)と名付けられおよそ九十種、無名種を加えると百種を越える花ハスの図譜である。成立年代は定かではないが文政年間に成立した岩崎常正編の「本草図譜」に本書の中かち数多くの図が転載され、そのいきさつが同書に詳しく書き残されているから、文化末年から文政初め頃(1800年前後)と推定される。

 記載品種は実に多種多用でおそらく日本中の名のあるハスは程んど網羅されていると思われ、そうした品種的情報とそれらの実物の入手にどのような手段を使って膨大なコレクションを成したか興味は尽きない。

 集められたハスは、別荘の一つ、築地霊岸島にあった浴恩園に於て一種づゝ瓶に植えて育てられていたと前記岩崎常正が書き残している。ハスは一容器内に複数の品種を混植すると丈夫な方が生き残り他は枯れるから、必ず池でも容器栽培でも一種類づゝ植えたが良いと貝原益軒の「花譜」に見え、定信はそれを忠実に守って、栽培を行っている。

 当時江戸市中の大名屋敷には大庭園がありハスを植える園地も多くあったことであろうが、庶民は上野の不忍池のハスを見物するのを楽しんだ様子が「江戸名所花暦」や「東都歳事記」などにも見え、全国各地でも観蓮の習慣が文人を中心に広く行われた。又生け花にも夏の花として用例も多く残されている。