「小不老尊名寄」 (こおもとなよせ)
  水野忠暁撰、関根雲亭画   天保3年頃か
 
 オモトは、「万年青」、「不毛草」とも書き常緑多年草で、葉は濃緑色で周年変わらず、春花をつけ秋〜冬に実は赤く熟す。中世以降庭園の庭石の根じめや、生け花材料として鑑賞植物の仲間入りした。

 中でも江戸中期以降、各種の園芸枯物が急速に発展したと同様オモトも江戸を中心に栽培が流行した。特に文化、文政期にはおよそ現在尚見ることができる形態的品種分化は程んど見ることができ、葉が大さく雄大な大葉万年青(薩州に多く産し、薩摩万年青とも呼ぶ)、普通の大きさで縞、虎斑、龍などを万年青と称し、小形のもを小万年青とし、これ又好事家の珍重するところであった。

「草木錦葉集」の編者として高名の旗本、水野忠暁は小万年青栽培に熱心であり仲間を誘って連(れん=サークル活動)をつくり、持寄展示会を開催した。その出品の中から銘品を自らを撰し、当時植物を画かせたら天下一品と称せられた関根雲亭の図により「小不老草名寄」は天保初年頃刊行された。

 一紙に十五種を鉢植えの姿として画き、植えられたオモトも見ごたえがあるが、特に鉢のデザインはすばらしいものである。

 ある一紙の隅に「べっ甲、半次郎、玉獅子など画の下出取違え彫刻下したる中へ甚心にて図を見るべし、調合行届さる事老年のとぼけの至りとさっすべし、水のちゅうきょう誌」 理り書は忠暁の人柄が出て面白い。
平仮名は渋川本の読み、( )は著者補