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江戸期の園芸を論ずる時、多くの人が異口同音に本書を引用してこれを語る。その理由は本番の奥付によると延宝九辛酉年とあり、我が国で最初に出版された園芸専門書であるからである。内容も大変幅広く序文に続いて第五丁おもてにボタンの図と「名ばかりは さかでも色を ふかみ草 花咲きならば何にみてまし」と和歌が添え書きされている。続いて植物の目録が季節ごとに分けて記載され、本文では各々の植物について解説がある。
例えば春草の部、最初はフクジュソウで、福寿草(ふくじゅそう) 花黄色小輪也 正月初より花咲 元日草とも朔日草とも福づく草とも俗に云。右養土(やしないつち)の事 肥土(こえつち)に砂を少加て能ませ合 ふるいにて用て宜し。肥の事茶がらを干成程こまかに粉にして右の土に少宛交る也。分植事二月末より三月節迄 八月末より九月節迄分植也。
以上のように書かれ、現在の園芸書の解説手順と似通った内容である。こうして四季の植物に対して上中巻にまとめ、下巻には、ボタン ツバキ サクラ ウメ モモ ツツジ キク ランなど品種の多い植物は品種名、花の形、色彩、特徴などが多数記載され、当時の品種を知る上で貴重な情報源として資料価値が高い。
さて本書の著者は奥付には中心に年記があり、右側に水野氏元勝(この人が著者とされている)左側に松井頼母後益志之ともあるのをどのように解釈すべきか。また本書には「写本花壇綱目」も伝本し、当文庫にも寛文五年序を収蔵するが通覧するに本文には異同が多く見られることと、前記二名の氏名は見当たらないなど謎が多く今後の研究課題としたい。
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