|
|
第二次世界大戦終結から六十余年となる。
この大戦では、多くの人の生命が断たれ、物や事蹟までも失った。しかし今尚地球上では戦禍が絶えず、愚かしくもあり、悲しいことである。
さて、日本ではこの大戦の前後の数年間、食料不足に悩まされ、多くの人々が飢えに苦しんだ。小生も少年期に遭遇し、飢えの苦しみの一端を味わった一人である。
考えてみると、戦争もその一端ではあろうが、人類の歴史はある意味では飢餓との戦いでもあったわけではなかろうか。そうした飢えの苦しみを柔らげ、生活を撃ぐことを、学問的に経験を基として体系づけたのが、中国では「救荒本草」と称し、わが国でもこれに習った。
「救荒本草」は中国、明代、嘉靖年間(1560)除光啓編、付刻の「野譜」は明、王西楼輯、桃可成補で版行されたものが我国に招来されたものを、当時の本草学者、松岡玄達(恕俺)によって訓点を施し、一般人にも読みやすくして、享保元年(1716)に京都で出版された。
内容は、栽培植物、野生植物のうち、食用となるもの414種を、草246、木79、米穀20、果37、菜32とに分類し、植物の特徴、産地、生えやすい地帯などを明記し、食用とする方法が記してある。
例えば、
大薊(ヤマアザミ)
山や谷の中に生ず、今、礎州山野の間にこれ有、苗の高さ三四尺、茎五稜、葉はチサに似て大きく、茎葉倶に刺有、葉の中心より花を出す。花は淡紫色、味苦く、性は平かで毒無し、根に毒有り。
救飢(用法) 若い葉や苗を採り、水煮し、水に淫し、苦味を去り、油と塩とで調へ食す。
とある。一度自分もアザミの茎葉を食して見たいと思っているが、食べねばならないような時代は再び来てほしくない。
|
|