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全七十四種内無名一種。絹地に一図づつ結界の中に画かれている。正面、横向き、後ろ向きつまりがくの姿、中には蕾の姿までも一図の中に意識して画いてある。正しくこれは科学の目として行き届いた作図である。惜しむらくは作者の著名も年代もない。
画かれた七十三種の品種名かを、「草木奇品家雅見」中の文化十一年のウメの品種番付、あるいは文化七年の「梅花写真図」などと校合するに重なる品種も多く、およそ、この頃の作品の稿本かあるいは写本である。
菅公由縁の飛び梅、紀貫之の娘「勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問えば いかに答えん」と詠んだことによって平安時代から名のある「鶯宿梅」、江戸中期の語句大輪先として有名な「武蔵野」、珍色の「黄金梅」など含まれているから、ある程度故事来歴にも通じ、園芸的にも優れた知識の持ち主のコレクションを画いたものであろう。
装丁も巻首は金襴装、題簽も金箔紙であり豪華な造りの巻物である。
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