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著作者は摂津国能豊郡細河村大字木部 (当時の住所表記) 群芳園 下村惣七郎編。明治三十年前後の著作である。一頁一品種十五丁三十種が丁寧な作図で画かれている。たぶん絵心のある専門家の手になるものであろう。
明治初期から盛んに導入されたバラの品種は、導入と同時に和名に置き換えられ日本人になじみやすいような名称として普及されたことは喜ばしい事ではあるが、残念なことに原名が判明しているのは数が少なく、著者が「薔薇品種の和名表」大日本薔薇協会研究部編、昭和九年刊により調査した結果僅か七種を数えるのみ。
こうした和名に置き換えたり、売らんが為の勝手な源氏名をつけることは今日尚、しばしば行われている。誠に遺憾なことであり、作出者、初期命名者への冒涜であるが、バラにおいては、こうした置換命名はほとんどなくなったのは我国の園芸界の国際化への第一歩を踏み出したというべきか。
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