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ヘンデルソン氏薔薇栽培法 |
慶應四年九月八日、改元あって明治となった。新しい時代の到来である。多くの人々は新しい時代に期待し、新しいものを求めようとした。そこへ登場したのが「バラ」であり、流行の裏付けは出版である。
明治8年「ヘンデルソン氏薔薇栽培法」一冊、水品梅処訳が7月に東京開物社が発刊した。さらに「図入薔薇栽培法」上下二冊、米国サミュールバンサン氏著。安井真八郎訳、東京共由社から九月に相次いで刊行された。図は銅版、活字刷り和装袋とじ本である。この二書が我国での、バラの栽培に関する専門書の嚆矢である。
一方バラ苗の販売先として、又当時の品種の人気度が一覧できる番付として、明治8年9月「西洋各国薔薇見立競(バラミタテキソイ)」が東京、その名も薔薇園から発行された。同年10月には「宇内薔薇花競(ウナイバラハナキソイ)」が京都、種樹家連より発行。続いて同10年には「各国薔薇花競」が、愛知社中より、同11年には「薔薇花見立競」が、攝津(大阪)木之部、植樹家社中よりなど、日本各地から一斉にバラ苗木が売り出された。まさに満を持して待っていたかのようである。
徳川幕府が、永年の鎖国の禁を解いて開港した日本各地(五港)の港から、近代バラの導入と栽培が始められ、またたく間に東京、京都、名古屋、大阪に伝えられ、江戸時代が受継がれていた多くの花々、植物に先がけて、新しい時代の象徴として、バラが登場し受け入れられたその道しるべとなったのが、この二書であろう。
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