江戸時代成立のサクラ図の最高資料
「櫻譜」
   本題 花譜 別名 じゃく譜(じゃく:桑の下の木がない字)
   堀内蔵頭直虎編  文久元年の序
 本書の墨書題簽によれば、編者は信州須坂の城主、堀内蔵頭直虎、号は良山。文久元年の序がありこれを成立年代とする。しかしこれにはサクラの研究者三好学の別説がある。東洋学芸雑誌第四百五十二号抜刷「市橋長昭撰花譜の解題並に其文献的価値」によれば、本書は原題「花譜」と稀せられ、享和三年に、江州蒲生郡仁正寺城主古橋長昭 幕臣櫻井絢、京都三熊花顛(かてん)のつくるところの桜花写生帖を増補し、全五帖二百五十二図となし後世に伝えたものが、転写によって序、奥附などがはぶかれて図集のみの伝本が堀良山の手に渡り、序を加えて「櫻譜」別名を「じゃく譜(じゃく:桑の下の木がない字)」とし同時に今日に伝う。

 当文庫本は桜譜系に属し、奥書きによると明治四十三年当時東京大学理学部教授の松村(任三)先生より拝借して、米沢、計見、東山の三氏の手で写本され、明治四十四年二月十三日終了、小泉源一(後の同学教授)の蔵することとなつた本である。コピーやマイクロフィルムのなかった時代、一冊の文献を手に入れる為には、多くの人手と共に気の遠くなるような努力が必要であったことを改めて知ることができる

 さて内容は江戸時代に成立していたであろうサクラの自生種、園芸品種を程んど網羅し(極一部名品が抜け落ちているのは不可思議)ながら二百五十二種を後世に伝えた最高資料と云っても過言ではない。それは、文化年間に屋代弘賢らによって編纂された「古今要覧稿」、桜の部の内、品種の図は程んど本書からの引用であり、成立間のない頃すでに基本資料として認められていたことが知れる。三好氏もその由解題中で記しておられる。

 尚、本書の原本又は原本に最も近い上写本は宮内庁書陵部に蔵されていると聞く、機会を得て拝見したいものである。