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江戸時代にサクラを画いた画家は数多いが、植物を本草学として学び、かつ画家であった人は少ない。本書の筆者、坂本浩然(こうねん)は紀州藩医坂本純庵の子として寛政十二年に生まれ、長じて医術は父に、本草学(現在の薬学、博物学、自然科学を総称した中国の学問的名称)は曽槃(そうはん)に師事し、摂津高槻藩に侍医として仕えた。若い暗から画技をよくし、父純庵の著書「百花図纂」(ひゃっかずさん)の図は浩然が画いた。号に浩雪(こうせつ)、蕈渓(しんけい)などがあり、嘉永六年五十四歳で没するまでに多くの植物図譜を残した。なかでもサクラの図譜は多く伝存し、「群桜図譜」、「長者丸図譜」などは有名である。
そうしたなかで『楼花写生董稿』は落款、奥付等はないが、表紙裏に旧蔵書三好学(みよしまなぶ)先生(東大理学博士でサクラの研究者)の識語があり、その一部を引用しておく。「櫻花写生畫稿一冊 筆者ノ名ナシ 蕈風并こ桜名ヲ記セル文字ノ書体ヨリ見レバ 坂本浩然ノ作ナルガ如シ蓋シ標本ヲ獲ルニ従テ写生シタルモノト考ヘラル (後略)三好学識。」とあり、サクラの品種はそれぞれ実物を半丁に「入れ写生されたもののようで、実に活写され、どれひとつとして類型的な図はない。
『櫻花写生畫稿』に納められている品種は、「鷲ノ尾 有明 桐ケ谷 地主(じしゅ) 小監山 楊貴妃 芝山 彼岸垂枝 布引 源氏 嫩木(わかき) 路頭(ろとう) 名島 美容峰 御室櫻(おむろ) 普賢像 砥女桜 樺桜 右衛門 渋谷 金王 御衣黄(ぎょいこう) 小金井 吉野桜 不断桜 琉球緋桜 旭山楼 墨染桜 御吉野 砥王桜 末識名 その他無記名が七図」、計三十六種が画かれている。記載品種の内過半数が現在でも生存し、見ることができる。
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