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やがてやってくる文化文政の江戸爛熟期、その足音が間近に聞こえてくる寛政年代の始め頃より京、大坂の好事家の間でカラタチバナの栽培が流行し、人々はより珍奇な姿形をした品種に法外な価格を付けて取引するようになった。
寛政九年春には「橘品類考」が、同年夏「橘品」冬「素封論」十年正月には「橘品類考後論」と相次いで京大坂で出版されるに至ってその極に達し、当時の事情をよく今日に伝えている。中でも橘品類考の序文が面白いので紹介しよう。
江南ノ梅ヲ江北ニ移セバ則(スナハチ)橘トナル西海二於テ一タビ化ケルナリ 数千歳ノ後チ精気東海二来リ雄徳山下(オトヤマノフモト)神変ノ妙術ヲ以テ天工(テンコウ)ヲ借ラズシテ?藤果(カラタチバナ)ノ七化出(ナナバケイダ)スナリ 豈(アニ)狸ノ七化ヲ狸ノ化ルヤ其ノ数七ツ ?藤果ノ化ルヤ其数七ツノミニアラズシテ其ノ品多種ナリ 後生(ゴショウ)畏(オソル)ベシ草木ニシテ狸ノ通ヲ奪フ 近頃都鄙(トヒ)ノ豪富甚(ハナハダ)?藤果(カラタチバナ)ヲ愛シ互二其ノ品ヲ争フ 昔人ノ楽ニ差アリ 貧キ者ハ黄金ヲ以テ眼ノ色卜為シ心ノ楽ト成ス 富ル者ハ黄金ヲ以テ眼ノ色ト為シ心ノ楽卜成スニ足ラズ(中略) ?藤果ハ比倫無キ美人ノ如クコレヲ愛シ コレヲ娯ムノ君子ハ珠ノ礫(ツブテ)ノ如ニコレヲ富ニ似(ニセ)タリ コレヲ寵(チョウ)シコレヲ娯ノ君子ハ實ニ徳有リト謂フベシナリ。
寛政九年丁巳春 桂庵木村俊篤 撰
このようにカラタチバナの変化することを見抜いた上で奇品に価値を求むるは君子の楽に似ると説き、志ある者と位置付け、本文中には「百両全」をカラタチバナと訓じている。しかしこのブームも数年ならずして泡と消える結果となった。
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