|
|
室町時代に発生した立華の格好の材料として、あるいは籬の菊という言葉通り庭園に植裁されるようになったキクは室町時代後期から品種分化が進み、とりわけ江戸時代寛永頃の生け花の隆盛に伴い急早に発達し始めた。
そうした品種に雅名を冠し、図を残す風趣が生まれるのも当然のことと考えられる。「きくの百花画」はこうした諸作品の内では比較的初期の成立と考えられる作品である。
作者は鎌倉時代から続いた大和絵の代表的流派である土佐派の中興の祖といわれている土佐光起(伝)である。絵画は素人であるが作風からして土佐派の絵であり、相当な力量の絵師の手によるものと考えられる。
一方、画かれているキクの品種は元禄年間以前に記録された品種名と重複するところが多く、画かれた花形も古様の形態を示すものがほとんどである。したがって光起の作とすれば、彼は元和三年生(一六一七)〜元禄四年没であるので、おそらく寛文、延宝年間の作品であろう。
画かれているキクは、八重咲の中小輪が多く、二〜三品種づつ花束形式にし和紙により切り口を包装してあり、当時既に花をラッピングすることが上流社会では行われていたことも、うかがい知ることができる。文の内容もさることながら、この図巻の注文主は余程の上流階級の生活をしていた人であろう。
画面上下は金箔砂子を散した料紙で、裏面はあられ金箔、巻首は菊唐草の金襴裂、軸先は象牙、題簽の文字と桐箱の文字は同手により達筆に書かれている。箱裏に「光起筆菊花極彩色書巻物ニ」の極札がある。
元禄以前の資料と重なる品種名(原文のまま)
あけかた いせかうきく いとより わうしゃく 大ぬれさき 大紫 をだはら かもきく からくちば きめいきく きんこ きんさんぎんだい くちは くちはさねもり くまかえ こかう こしやうじやう こぬれさき こんきく さるましこ ちとう しやうしやう すいやうひ せいしかう 大白 てつか てりこう てんりうじ とう志んし 中紫 なんぜんし ぬれさき はりま中将 日くらし へにきく ほとときす まるはしら みだれしやうしやう 六代 り
|
|