キクのカタログ
「新苗割台附帳」
  享保九年(1724)
 
  八代将軍吉宗の頃、享保年間は、日本のキク栽培の歴史の中で最も盛んであった時代で、後の人は、「享保の萄、化政の朗頭」と呼んで、当時の一大園芸ブームを表現している。

 さてそうしたブームのまっただ中の一つの資料として、ここで紹介する「新菊割台附帳」 は、表題こそややこしいように聞こえるが、なんのことはない、キクの新品種種の説明並びに株分け苗の代金表、つまりキクのカタログである。

 時は享保九辰春(1724)
 大阪天満天神鳥居内
       野田屋四郎兵衛
 同、天神裏門大東人
       樹木屋治兵衛栄
 の共同出版になる全十七丁の横綴の小本である。

 記載品種種総数115種、苗1本の代金は金一〜二両が中心価格、安いので銀五匁、高いのでは金二両弐分、当時は金銀銅など変動相場制で定まらないが、金一両=金四分=銀で五五匁位である。米一石(130キログラム) 銀三三匁、従って銀五匁の苗代は、米20キロ、金三両二分では米約六石、つまり780キロも買える価格である。米1キロ500円では前者は1万円、後者は39万円、何とびっくりする程の高価である。

 何如にブームとはいえ、これらの価格で買い求め、キク作りを楽しんだ経済力は驚きである。