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中国明方暦年中に李時珍によって編纂された「本草綱目」 五二巻は慶長年間に日本へ導入されて以来、薬学、博物学、植物学に大きな影響を受け、大げさにいえば、今日なお同書の研究と現代語訳本に出版された程である。
江戸時代の本草学の第一人者である貝原益軒は、いち早く「本草綱目」に着目し、自らが訓点を加えて寛文十二年に出版したが、益軒先生は中国からの本草学の受売りだけでは飽き足らず、日本の動植物から鉱物に至るまで自分の目で確かめ、知識を集めて平易な片かな和文で論定したのが「大和本草」である。
本文十六巻、附録二巻、諸品図三巻が宝永六年から正徳五年に出版された。本文六三四丁(一丁は二頁) 附録四四丁、諸品図八四丁、図には植物二一四種、動物一一七種が画かれている。
本文の配列などは本草綱目に準拠するも植物の解説が最も多く、薬用植物はもちろんのこと、食用、繊維作物、林木、山野草、観賞用植物に到るまで巾広く取り上げられている。
例えば巻七には、
向日葵(ヒフガアフヒ)
一名西番葵 花史(中国の園芸書「花史左編のこと」 ニハ文菊卜云向日葵モ漢名也 葉大二茎高シ六月(旧暦)ニ花サク頂上二只一花ノミ日ニツキテクル 花ヨカラス最下品ナリ 只日ニツキテマハルヲ賞スルノミ 農圃六書(中国の農業書)花鏡(中国の「秘伝花鏡」のこと)ニモ見ユタリ 国俗日向葵(ヒフガ)トモヒマワリモ云。とあり。
益軒先生はヒマワリがお好きではなかったらしい。
宝永六年刊 一〜十六巻。 |
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