「福寿草写生図」
  著者不明  明治初年頃写、原本天保期か
 
 福寿草(フクジュソウ)については、日本最初の園芸書「花壇綱目」(延宝九年刊)には、 「福寿草 花黄色小輪也正月初より花咲元日草とも朔日草(ついたちそう)とも福づく草とも云。右養土の事肥土に砂を少加て能まぜ合ふるいにて用て宜し、肥の事茶がらを干し成程こまかにして右の土に少宛交る也。分植事二月末より三月節迄八月末より九月節分植也。」とある。

 また貝原益軒は「花譜」(元禄十一年刊)には、「(前略)春の初花ひらく故に元日州と云ふ盆(はち)に植て新春席上の清賞とす。(後略)」とある。

 以上のように延宝、元禄の頃すでに迎春用の観賞植物として一定の地位を得ていた。その後日本各地の野性種の中から変異を求めたり、実生により変化を求めて品種数は増加し愛好家により受継れたことであろう。

 時代は下って天保初年刊行の「金生樹譜」によれば「福寿草譜」の刊行が予定されていたが未刊に終った。しかし同じような時代の成立とされる図入写本が、東京都立中央図書館他に何点かが今日に伝えられている。

 今回の「福寿草写生図」もそれに類すると考えられるが序や奥書きはない。

 内容は一頁一図、少数重複もあるが、図によれば同名異種もあり総数八十九種に及ぶ品種が図示されている。品種の特徴は、青梅紅、秩父紅、酒依紅など紅色系、満月白、弁天白、車屋白、清明白など白色系、花形では狂咲き段咲、撫子咲などが見える。何れも今日ではその半数近くが失われているようだが、日本の人と風土が育て上げた貴重な園芸品種を永く世に伝えたいものである。