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「花壇地錦抄」など、多くの著作で有名な江戸の園芸家 伊藤伊兵衛三之丞(三代目)のあと継として、伊兵衛政武(五代目)はカエデの品種の蒐集と、新品種の作出に力を注いだ。
その結果、宝永七年に「古歌僊楓」と題し、三十六歌仙になぞらえ、名歌と共に著作として発表。続いて、享保八年に「新歌仙楓」として前編同様、三十六品種を紹介した。更に享保十七年には「追加楓葉集」として二十八品種を加え、楓三部作合計百品種のモミジ、カエデ類を和歌と対比させて品種名となし世に問うた。
この事によって、カエデ類の品種名は格調の高いものとなり魅力ある園芸種となり今日に伝えられている。
しかし、その百種の和歌の中に、秋を代表する、寂蓮、西行、定家の三夕の歌が取り上げられていないのに、私は常々不思議に思っていた。しかるに、数年前とある古書店の目録にすりもの「三夕楓之図」が記載され、コレダ!と直感し、幸にも入手することができた。新出資料としてここに紹介する。
伊兵衛政武は三夕の歌を十分承知の上、百種には加えず、別企画として、それにふさわしい品種作出を待って揃ったところで発表したのであった。時、寛保二年(1742)のことであった。
三夕楓は次の通りである。
槇立山(まきたつやま) 寂蓮法師
さびしきは その色としも なかりけり 槇立山の 秋の夕暮
鴫立沢(しぎたつさわ) 西行法師
こころなき 身にも哀れは しられけり 鴫立沢の 秋の夕暮
浦苫屋(うらのとまや) 定家朝臣
見わたせば 花ももみちも なかりけり うらのとまやの 秋の夕暮
三種の内、現存品種は「鴫立沢」のみである。
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